ちょっとした交通事故ネタ

交通事故にまつわる話

ボンネットのマスコットが少なくなった訳

1966年2月3日。前年まで学芸会と呼ばれていたイベントが学習発表会としてリニューアルした、まさにその開催当日のことである。私はいつもより早めに家を出て、小学校への道のりを急いでいた。地方の未舗装の道路は交通規制も緩やかで、通い慣れた通学路の途中には何台もの車が路上駐車されていた。

田舎の一本道に車道、歩道の区別などない。なんとなく右寄りを人が歩き、なんとなく左寄りを車が走る。後は臨機応変だ。通学路もその地方ルールに従う。その日も、本来は人の歩く、道路の右側に堂々と停まっている車を除けて、車道側に少し出た。私の記憶はそこで途切れる。気づいたときには消毒臭い部屋で顔中をぐるぐる巻きにされていた。

もしも当日、空中撮影のヘリが録画していたら、その内容は、路上駐車の車を除けて道路の中央よりに出た少年を反対方向から走ってきた黒い車がはねたという決定的なシーンを収めているはずだ。

包帯でぐるぐる巻きにされた頭部に対して、首から下は元気そのもの。目立つ外傷や打撲もない。なぜ頭部にだけ包帯が巻かれてあるのか。本人には、はねられた記憶がまったくない。事故を目撃した通学途上の仲間や大人たちの話を総合すると、私の顔の鼻の下、つまり、鼻と上唇との間の部分に衝突した車のボンネット上の突起物の先端部が接触し、鋭利なナイフで切られたような傷ができたかららしい。

当時はまだまだ車は高級品で、外装デザインにもこったものが多かった。空力特性とか省燃費とかの発想が重視されるずっと前の時代である。デコラティブデザインの技巧の1つがボンネット先端部にあしらうマスコットやシンボルの存在だった。フライングレディと呼ばれるロールスロイスのトレードマークや社名をそのままモチーフにしたジャガーのシンボルマークなどはその代表例だろう。

そのような世界の流行を意識したのか、かつての国産車には車種に応じた立体的なシンボルマークをボンネット上に載せたものが多かった。立体的というところがミソである。その立体の一部に私の顔は傷つけられた。傷跡は緩やかな曲線を描いて今もうっすらと残っている。事故の瞬間の記憶はないものの、その「当たり所」があと5ミリ上、もしくは5ミリ下だったらと考えると、今更ながら、ぞっとする。

恐らく運転者側の主張は「車の陰から子供が飛び出した」であろう。自分が運転する立場になり、同じような状況になったら、やはりそう考えると思う。だから、当時のことをとやかく言うつもりはない。幸い、世事に疎い子供だったので、そのあたりのことは周囲の大人が解決してくれている。後遺症に悩まされることもない。

考えてみると、国産車で往年のような立体的なマスコット類をボンネット上に付けている車種を見かけない。空気抵抗を考慮した技術的な事情なのか、燃費効率に配慮した経済的な事情なのか、私のような事故を減らすために打たれた対策なのかは分からない。

ただ、確率的に見て、私と同様の事故に見舞われた人は決して少なくないはずだ。そういう人たちの声なき声がデザインよりも安全性を重く見る側に働き、立体デザインを減らしたのではないか。最近はそんな風に考えている。